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・・・釣り人は、どこへ彷徨くのか?・・・
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世界が生まれ変わるわけでもありませんが、
明日を今日よりマシにしようと物事へ真摯に
臨めば取り組む自分の気も楽だっちゅーの。

皆さん よいお年をお迎えください。
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これまでどうもありがとう。お疲れ様でした。

'Godfather of Soul' James Brown dies

James Brown - I Feel Good

James Brown - Sex Machine
【天声人語】2006年09月15日(金曜日)付

僕は自他共に認める大酒飲みですが・・・飲んだら乗るなを車メーカーの責任とは

>しかしもう少し広く見れば、
でいきなり詭弁に突入するのは本多御大の劣化世代が為せる業なのか。

深代惇郎が地下で泣いているに違いない。

それはそれ。これはこれ。

2投で1匹 納竿は結構効率良し。ロマンもへったくれもありゃしねえ。

今日の国分川 わずかな反転流に賭けてみるも不発。
kokubu1

昨日午前中の晴れ間、高知市内中心部を流れる新堀川を観にいきました。

一時間ほど眺めていたのですが、

気がついたこと。

《南北に伸びていることが結構重要。》

東から陽光が午前中一杯さんさんと降り注ぐ。
浅瀬になっている西側岸際が長時間陽光に暖められるために、
小型の生物群が生活しやすい。

《西側の階段状の岸》

高級マスクメロンなどを栽培するにあたって、
「東を向いて階段状に棚を設置する」
という技術がある。
長い時間陽光を浴び続ける設定と、階段状に設置することで
陽光を効率よく面で捉えるのが可能なのである。

この西側階段状の岸構造は非常に短い区間ではあるが、たいへん重要だと思われる。

階段最上部ではフナムシ、その一段下ではカニ、
その下ではコトヒキ等稚魚の回遊活動、最下部ではマハゼの昼寝スペースと、
完全に棲み分けが為されているようだ。

泥の中では環虫類等が数多く潜んでいる。
この陽のあたる小さな区間でどれだけ多様かつ健全な循環が為されているかと
想像すると、非常に楽しい。

しかし、新堀川を護る意思のある人々は
そのようなことに気がついてもくれないだろう。
目線が違うからだ。
アカメやハクセンシオマネキを客寄せパンダに利用する。
または己の主張の盾と為す。

そのようなことのために小さな生き物は世に生を受けたのではないと思う。
彼らは地球を構成する歯車だ。
己が為すべきことを本能に沿ってこなし続けることが生である。
この勤勉な歯車の種類が豊富であればあるほど、環境激変のリスクは
未然に防止される。
そしてその増減が人間の生活保全の指標となる。
それだけのことではないか。
人間がいなければいちいちこんな理由付けすらも無為ではあるが。

もちろん、生き物及び地元に対する思い入れは尊重すべきだが、
それは自分たちのサークル以外の人間にも容易に理解できる発言と行動
という一種の普遍性を帯びていなくては意味がない。
そしてその鍵はアカメではないと思う。そもそもアカメ自体が特殊中の特殊である。

琵琶湖博物館の中井さんを新堀川へ連れて行った時、ケシ粒ほどな貝類
熱心に観察・採取する姿を見て、
「現場主義の研究者というのも釣り人並みに怪しい」
と確信したが、釣り人と違うと感じたのは、
『モノを視る目線の低さ』だった。

ケシ粒ほどの貝が新堀川のそこここで謙虚に生活しているなんて、
中井さんが来なければ気がつかなかった。
それと同時に生態系の最下層に位置する連中へ目を凝らす人の存在と
考え方をマッチングさせることができた貴重な機会でもあった。

そして、僕は
「市民の目線」「釣り人の視線」「研究者の視線」と複眼的に
新堀川を視ることができたのだった。
小さきものたちは気になるが、奴らのしぶとさにも期待する。

kokubu2
国分川の小さきものたち。


こういう料理だと、加熱している時間が長いので、
その間にいろんなことができます。

※エセ真空調理なので、加熱するより放置している時間が長いのですが

1つのことに妄執し必死で抗い続けるなど、非効率も甚だしいと個人的には思います。
抗うことは否定しませんが、同時に他のことも進めるべきです。
プロフィール
HN:
ぴ~2
性別:
男性
自己紹介:
↑小川健太郎が
我が家の家紋にと。
忙しそうだが
元気でやってるのかしら。


高知県在住の
チンケな釣り人です。
別名 細川裕史とかや。


一般には、《外見》に惑わされない
ようにしなければなりません。
あるオブジェを選ぶというのは、
たいへんむずかしい。
半月後にそれを
好きなままでいるか、
それとも嫌いになっているか
わかりませんからね。
美的な感動を何にも
受けないような無関心の境地に
達しなければいけません。
レディ・メイドの選択は常に
視覚的な無関心、
そしてそれと同時に好悪を
問わずあらゆる趣味の欠如に
基づいています。

マルセル・デュシャン
「デュシャンは語る」より
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