・・・釣り人は、どこへ彷徨くのか?・・・
前項で仁淀川に触れた。
仁淀川にもダムはある。
しかしながら、最下流のダム下流の水量は豊富かつ水質もフレッシュだ。
筏津ダムからの下流域は、森下雨村も愛したアユ釣りの好釣り場であるが、
実際には直下流からでは涸れ川状態であることも少なくない。
だが、特に放水口もなく数キロ下れば、結構な水量が生み出されている。
川へ入ってみよう。大きな玉石や玉砂利の間から大量の伏流水が
噴出しているのだ。数多くの小さな支流の息吹も加え、
まっこと山の保水力とは素晴らしいものである。
ダムができて実際には本来の命脈を絶たれてはいても、ダムから下を
以って新たな川が発生し、昔の水量とまでは行かずとも
「高知の仁淀は好い川よ」と称えられているのであろう。
さて、対照的なのが物部川だ。
ここも一級河川なのであるが、ハッキリ言ってもう手の施しようが
ないといってよい。
天然アユの復活にかけては高知の他のどの河川よりも努力を怠って
いないのだが・・・
物部川といいつつも実態は杉田ダム・吉田ダム・永瀬ダムと
流域本体の3分の2以上をダムで区切った半止水域なのだ。
ここ数年の水の色を見ても、貧酸素状態で入浴剤のような
緑白濁りで安定している。
下流域で産卵場を整備した初年度はかなり回帰があったようで
可能性を抱かせたが、どちらかというとそれはマグレのホームラン
であったと勝手に考えている。
上流部はダムや道路の整備の公共事業で地元の土建屋さんが雇用を
確保しているから、ダムを否定できない。
下流域は下流域で国土交通省の河川改修が年がら年中行われており、
何がどう変るのか、よく変るのか悪く変るのかすらわからない。
リンクしていただいている杉本さんによると、
「西表は沖縄の土建業界にとって最後の宝の島」
らしいのだが、高知においては一級河川がその役目を果たしている。
(たぶん他の地域も)
そして、問題であると思われるのがその是非が極論でしか大声で
語られない点だろう。「脱ダム」か「必要」か、はたまた口をつぐむか。
高知においては「口をつぐむ」のが主流である。
例えば早明浦ダムのように、地元住民は県を挙げてそれを望んでいなかった
にも関わらず、お上の大義名分(徳島・香川の為に)によって村が沈んだ。
また、高知ではダムの揚水発電が盛んでもある。
このような状況において、ダムは中山間地の生活に景色の一部として
否応なく馴染んでいるのだ。
つまり、新たに語り起こすほどでもないという空気の醸成だが、こと
お魚さんについて保護保全を行おうと、お上も込み込みで提唱しているのに、
ダムの運用に対して新たな見直しの声が上がらない。
確かに一級河川は国の裁量である。しかしながら、物部川に関しては
流域全てが高知県なのである。そして市町村合併において流域単位での
それも成功しつつあるのに、何故根本的な解決へ向かおうとせずに、
いつまでも、何度も「冷水病」や何やらのお題目を述べ続けるのであろうか・・・
全く以って疑問である。努力は積み上げられているが、根本的に解決する気がない
のではないのか。
そしてそれは、地獄で子供が石の塔を積んでは羅刹に壊されるという
無限の責め苦のようなものではないのか。
仁淀川にもダムはある。
しかしながら、最下流のダム下流の水量は豊富かつ水質もフレッシュだ。
筏津ダムからの下流域は、森下雨村も愛したアユ釣りの好釣り場であるが、
実際には直下流からでは涸れ川状態であることも少なくない。
だが、特に放水口もなく数キロ下れば、結構な水量が生み出されている。
川へ入ってみよう。大きな玉石や玉砂利の間から大量の伏流水が
噴出しているのだ。数多くの小さな支流の息吹も加え、
まっこと山の保水力とは素晴らしいものである。
ダムができて実際には本来の命脈を絶たれてはいても、ダムから下を
以って新たな川が発生し、昔の水量とまでは行かずとも
「高知の仁淀は好い川よ」と称えられているのであろう。
さて、対照的なのが物部川だ。
ここも一級河川なのであるが、ハッキリ言ってもう手の施しようが
ないといってよい。
天然アユの復活にかけては高知の他のどの河川よりも努力を怠って
いないのだが・・・
物部川といいつつも実態は杉田ダム・吉田ダム・永瀬ダムと
流域本体の3分の2以上をダムで区切った半止水域なのだ。
ここ数年の水の色を見ても、貧酸素状態で入浴剤のような
緑白濁りで安定している。
下流域で産卵場を整備した初年度はかなり回帰があったようで
可能性を抱かせたが、どちらかというとそれはマグレのホームラン
であったと勝手に考えている。
上流部はダムや道路の整備の公共事業で地元の土建屋さんが雇用を
確保しているから、ダムを否定できない。
下流域は下流域で国土交通省の河川改修が年がら年中行われており、
何がどう変るのか、よく変るのか悪く変るのかすらわからない。
リンクしていただいている杉本さんによると、
「西表は沖縄の土建業界にとって最後の宝の島」
らしいのだが、高知においては一級河川がその役目を果たしている。
(たぶん他の地域も)
そして、問題であると思われるのがその是非が極論でしか大声で
語られない点だろう。「脱ダム」か「必要」か、はたまた口をつぐむか。
高知においては「口をつぐむ」のが主流である。
例えば早明浦ダムのように、地元住民は県を挙げてそれを望んでいなかった
にも関わらず、お上の大義名分(徳島・香川の為に)によって村が沈んだ。
また、高知ではダムの揚水発電が盛んでもある。
このような状況において、ダムは中山間地の生活に景色の一部として
否応なく馴染んでいるのだ。
つまり、新たに語り起こすほどでもないという空気の醸成だが、こと
お魚さんについて保護保全を行おうと、お上も込み込みで提唱しているのに、
ダムの運用に対して新たな見直しの声が上がらない。
確かに一級河川は国の裁量である。しかしながら、物部川に関しては
流域全てが高知県なのである。そして市町村合併において流域単位での
それも成功しつつあるのに、何故根本的な解決へ向かおうとせずに、
いつまでも、何度も「冷水病」や何やらのお題目を述べ続けるのであろうか・・・
全く以って疑問である。努力は積み上げられているが、根本的に解決する気がない
のではないのか。
そしてそれは、地獄で子供が石の塔を積んでは羅刹に壊されるという
無限の責め苦のようなものではないのか。
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「遊漁施策等に関する研究会(第6回)」の開催について
プレスリリース 平成18年 6月21日 水産庁
>3.研究テーマ 「現行遊漁関連制度の検証」
>*我が国及び英国における費用負担を含む釣り場管理システムに関する
>現状や今後の課題等について、漁業経済学会の会員である研究者や
>自治体職員が報告を行います。
>その後、これらの発表に関する議論を行います。
ということなんですが、794@前スレさんこと辻井さん(えい面倒な)曰くの
露払いの登板終了で水産庁がかなりマジモードであることは、客観的材料から
してまず間違いないところ。
前釣り人専門官 桜井氏から、どう観てもかなりのタフ・ネゴシエイターにして
スノビッシュな釣りを愉しまれる城崎氏へのバトンタッチと共にライセンス制の検討へ。
スズキのフライフィッシングといえば世界のEIZOの専売特許だから、こちらの
線とも近い人物だと思われる。
そして、どういう内容が研究者から提起されるのか?は、どうもこちらから
推察すればよいようだ。
魚は誰のモノか
横浜国立大学名誉教授、(財)日本釣振興会常任理事◆遠藤輝明
法律論として
>しかし、魚は本当に無主物と言えるのだろうか。
については多くの判例において無主物扱い(例えば琵琶湖リリ禁訴訟とか)
なのだから、これはほぼ動かないところである。
これをひっくり返すに当たっては水産庁ではなく改めて司法へ
問わねばならないので最初から前提が間違っておる。
つまり書いた内容にあまり意味がなさそう・・・
逆にだ、なぜこのような内容の文章を書いておかねばならなかったか?
に興味が惹かれるではないか。
・・・という風に邪推されるようなことをお偉いさんは避けるべきだろう。
プレスリリース 平成18年 6月21日 水産庁
>3.研究テーマ 「現行遊漁関連制度の検証」
>*我が国及び英国における費用負担を含む釣り場管理システムに関する
>現状や今後の課題等について、漁業経済学会の会員である研究者や
>自治体職員が報告を行います。
>その後、これらの発表に関する議論を行います。
ということなんですが、794@前スレさんこと辻井さん(えい面倒な)曰くの
露払いの登板終了で水産庁がかなりマジモードであることは、客観的材料から
してまず間違いないところ。
前釣り人専門官 桜井氏から、どう観てもかなりのタフ・ネゴシエイターにして
スノビッシュな釣りを愉しまれる城崎氏へのバトンタッチと共にライセンス制の検討へ。
スズキのフライフィッシングといえば世界のEIZOの専売特許だから、こちらの
線とも近い人物だと思われる。
そして、どういう内容が研究者から提起されるのか?は、どうもこちらから
推察すればよいようだ。
魚は誰のモノか
横浜国立大学名誉教授、(財)日本釣振興会常任理事◆遠藤輝明
法律論として
>しかし、魚は本当に無主物と言えるのだろうか。
については多くの判例において無主物扱い(例えば琵琶湖リリ禁訴訟とか)
なのだから、これはほぼ動かないところである。
これをひっくり返すに当たっては水産庁ではなく改めて司法へ
問わねばならないので最初から前提が間違っておる。
つまり書いた内容にあまり意味がなさそう・・・
逆にだ、なぜこのような内容の文章を書いておかねばならなかったか?
に興味が惹かれるではないか。
・・・という風に邪推されるようなことをお偉いさんは避けるべきだろう。
Squarepusher - Come on My Selector
■■■
純粋に“悪意”を表現すると上等のユーモアへ昇華するらしい。
3分ぐらいからやっと本題に突入するが、それまではちょっと我慢。
固定観念、思い込みを修正するには価値観のリセットが有効だ。
例えばこのような映像・音楽を愉しむような。
しかし、外国人から見て「大阪」ってどれだけ悪い街やねん。
■■■
純粋に“悪意”を表現すると上等のユーモアへ昇華するらしい。
3分ぐらいからやっと本題に突入するが、それまではちょっと我慢。
固定観念、思い込みを修正するには価値観のリセットが有効だ。
例えばこのような映像・音楽を愉しむような。
しかし、外国人から見て「大阪」ってどれだけ悪い街やねん。
こちらへ書かれたノラネコさんのコメントから膨らませてみよう。
まず高知の代表的・・・というか、対外的にもメジャーな河川の話だが
この「メジャー」というのも曲者だ。
メジャーというのは多くの場合、それを伝えることによって諸所関係者に
利益が生じるからソコへと誘導されるのである。
環境保全運動のシンボル・一極集中化と言い換えてもよいだろう。
まず、そこを踏まえて、僕のこれから書くことについても眉に唾して
読んでいただきたい。
四万十については既に多くの人々が言葉を消費してきた故に、
今さらコメントするのも野暮の極みである。
そして仁淀川について。
ここには、天野礼子氏がいる。
最近話を聞かず、とんとご無沙汰だ、果たして何処へ行かれたのか
という魚類研究者の言もあったが、何のことはない、岐阜・長野から
メインの河岸を移されたのだ。
県の内水面関係の研究者と「お友達人脈」を形成するいつものパターン
である。また、知事との「お友達関係」をアピールするのもいつもの
アレだ。
昔、長野県でスモールマウスバスのリリース禁止先送りが
判断された件について、シンポジウムの後に天野氏がお友達たる
ヤスヲちゃんを説得して先送りにしたという話を聞き、
『果たしてそのようなヌルい関係で行政の長の判断が左右されるのか?』
と疑問に思ったのだが
仁淀川シンポで本人さんを確認し、「リバーキーパー設立」の茶番劇を観て、
これはさもありなん、くわばらくわばらと唱えたものである。
しかしながら、自ら「脱ダムのジャンヌダルク」たらんと行動し、
そのようなやり方の積み重ねの上に世論喚起の実績があるのも確かなことである。
日本新党の党首(新党日本に非ず)のように全く話のかみ合わない人と
やりあわなければならない立場であれば、対立軸にある権力者の傘を
利用するのは戦術として当然であったことだろう。そこに「開高健の弟子」
という金看板は十二分に役立ったはずである。
そして、現在の環境保護・保全運動の主流がそのような「お友達人脈」的な
手法を使っていることもまた現実である(高知では非主流だが)。
しかし、これからもそういう手法が有効であるかは大いに疑問だ。
既に全てのチャンネルは開かれたのである。ガラス張りだ。
ヤスヲちゃんの執務室のことではなく、Webによって公然の秘密という
ものは煙のようになくなってしまったのである。
つまり、よしんば「お友達人脈」を活用して目的を達成したとしても、
その成立過程において論理性と正当性を欠くのであれば、果たしてソレが
社会的に認められるのかどうか、俎上に載せられるべき課題である・・・
と、いうことだ。
当にそれは「バス釣りの拡散」と同じ構造ではないか。
気をつけろ。「旧来の環境保護運動の手法」と「バス釣りの拡散」の同位性に。
《続く》
まず高知の代表的・・・というか、対外的にもメジャーな河川の話だが
この「メジャー」というのも曲者だ。
メジャーというのは多くの場合、それを伝えることによって諸所関係者に
利益が生じるからソコへと誘導されるのである。
環境保全運動のシンボル・一極集中化と言い換えてもよいだろう。
まず、そこを踏まえて、僕のこれから書くことについても眉に唾して
読んでいただきたい。
四万十については既に多くの人々が言葉を消費してきた故に、
今さらコメントするのも野暮の極みである。
そして仁淀川について。
ここには、天野礼子氏がいる。
最近話を聞かず、とんとご無沙汰だ、果たして何処へ行かれたのか
という魚類研究者の言もあったが、何のことはない、岐阜・長野から
メインの河岸を移されたのだ。
県の内水面関係の研究者と「お友達人脈」を形成するいつものパターン
である。また、知事との「お友達関係」をアピールするのもいつもの
アレだ。
昔、長野県でスモールマウスバスのリリース禁止先送りが
判断された件について、シンポジウムの後に天野氏がお友達たる
ヤスヲちゃんを説得して先送りにしたという話を聞き、
『果たしてそのようなヌルい関係で行政の長の判断が左右されるのか?』
と疑問に思ったのだが
仁淀川シンポで本人さんを確認し、「リバーキーパー設立」の茶番劇を観て、
これはさもありなん、くわばらくわばらと唱えたものである。
しかしながら、自ら「脱ダムのジャンヌダルク」たらんと行動し、
そのようなやり方の積み重ねの上に世論喚起の実績があるのも確かなことである。
日本新党の党首(新党日本に非ず)のように全く話のかみ合わない人と
やりあわなければならない立場であれば、対立軸にある権力者の傘を
利用するのは戦術として当然であったことだろう。そこに「開高健の弟子」
という金看板は十二分に役立ったはずである。
そして、現在の環境保護・保全運動の主流がそのような「お友達人脈」的な
手法を使っていることもまた現実である(高知では非主流だが)。
しかし、これからもそういう手法が有効であるかは大いに疑問だ。
既に全てのチャンネルは開かれたのである。ガラス張りだ。
ヤスヲちゃんの執務室のことではなく、Webによって公然の秘密という
ものは煙のようになくなってしまったのである。
つまり、よしんば「お友達人脈」を活用して目的を達成したとしても、
その成立過程において論理性と正当性を欠くのであれば、果たしてソレが
社会的に認められるのかどうか、俎上に載せられるべき課題である・・・
と、いうことだ。
当にそれは「バス釣りの拡散」と同じ構造ではないか。
気をつけろ。「旧来の環境保護運動の手法」と「バス釣りの拡散」の同位性に。
《続く》
今日は釣り雑誌の発売日なので、本屋で
「デトロイト・メタル・シティ」を立ち読みした後、
「今日の猫村さん 2巻」を買って帰りました。
釣り雑誌?素通りに決まっている。
えーと、どこまで書いたか。まだ釣り竿を振るまで至ってないな。
逆に言うとそれだけ遠いんだ、釣りと僕との距離は・・・
では、釣り初めについて。
ハゼだ。浮き釣りだ。
湾奥でだ。
確か、近所のおじさんが近所へ夜釣りへ行って、電気浮きが
沈んだらゴンズイが釣れた、それがキッカケだ。
魚は水の中を自在に縦横する生き物である。
それがたまたまにせよ、選択的に一本の針に掛かっているのは
結構不思議なことではないか?
しかも、チヌを狙ってゴンズイが釣れたのである。
狙った目的の生物ではない生物が捕獲できてしまう偶然性と裏腹の蓋然性。
大人になって語彙豊富になればその当時感じたことを
文字にして説明もできるが、その当時は「不思議と不条理」でしかない。
それを解明するにはどうすればよいのか。
釣りをするしかないではないか!
そして、祖母について行ってもらい、薄暗い釣具屋へ一歩を進めるのである。
明日早朝釣行予定だから早めに書きました。
「デトロイト・メタル・シティ」を立ち読みした後、
「今日の猫村さん 2巻」を買って帰りました。
釣り雑誌?素通りに決まっている。
えーと、どこまで書いたか。まだ釣り竿を振るまで至ってないな。
逆に言うとそれだけ遠いんだ、釣りと僕との距離は・・・
では、釣り初めについて。
ハゼだ。浮き釣りだ。
湾奥でだ。
確か、近所のおじさんが近所へ夜釣りへ行って、電気浮きが
沈んだらゴンズイが釣れた、それがキッカケだ。
魚は水の中を自在に縦横する生き物である。
それがたまたまにせよ、選択的に一本の針に掛かっているのは
結構不思議なことではないか?
しかも、チヌを狙ってゴンズイが釣れたのである。
狙った目的の生物ではない生物が捕獲できてしまう偶然性と裏腹の蓋然性。
大人になって語彙豊富になればその当時感じたことを
文字にして説明もできるが、その当時は「不思議と不条理」でしかない。
それを解明するにはどうすればよいのか。
釣りをするしかないではないか!
そして、祖母について行ってもらい、薄暗い釣具屋へ一歩を進めるのである。
明日早朝釣行予定だから早めに書きました。
プロフィール
HN:
ぴ~2
性別:
男性
自己紹介:
↑小川健太郎が
我が家の家紋にと。
忙しそうだが
元気でやってるのかしら。
高知県在住の
チンケな釣り人です。
別名 細川裕史とかや。
一般には、《外見》に
惑わされないように
しなければなりません。
あるオブジェを選ぶというのは、
たいへんむずかしい。
半月後にそれを
好きなままでいるか、
それとも嫌いになっているか
わかりませんからね。
美的な感動を何にも
受けないような無関心の境地に
達しなければいけません。
レディ・メイドの選択は常に
視覚的な無関心、
そしてそれと同時に好悪を
問わずあらゆる趣味の欠如に
基づいています。
マルセル・デュシャン
「デュシャンは語る」より
我が家の家紋にと。
忙しそうだが
元気でやってるのかしら。
高知県在住の
チンケな釣り人です。
別名 細川裕史とかや。
一般には、《外見》に
惑わされないように
しなければなりません。
あるオブジェを選ぶというのは、
たいへんむずかしい。
半月後にそれを
好きなままでいるか、
それとも嫌いになっているか
わかりませんからね。
美的な感動を何にも
受けないような無関心の境地に
達しなければいけません。
レディ・メイドの選択は常に
視覚的な無関心、
そしてそれと同時に好悪を
問わずあらゆる趣味の欠如に
基づいています。
マルセル・デュシャン
「デュシャンは語る」より
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