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・・・釣り人は、どこへ彷徨くのか?・・・
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2006年06月21日 高知新聞 【一部引用】
>鏡川のアユの遡上状況を調査していた高知市はこのほど、
>同市石立町の新月橋から鏡ダムまでの約9キロ区間に
>21万9000匹のアユが生息し、うち76%が天然アユ
>とする結果をまとめた。
>鏡川漁協は「天然遡上は多いが、長年の経験からいって
>アユの数は例年の3分の1ほど」とみており、
>同市は産卵場整備など資源保護に取り組む。
当該記事へリンク
↑の記事は自転車で5分の位置にある川の話である。
県庁所在地を流れる川で、2級河川とはいえ小体でそれなりの
趣きがある。

屹っとした野性味は感じないが、飼い犬の機嫌の良さを持つ。

高知にはそれなりによい川が多いが、四国山脈の向こう側・・・
特に徳島側河川の根本改造ぶりには驚いたものだ。

まあ、国からゼニを引っ張ってくるツテが高知になかっただけなのだが、
今となってはゼニに換算できない資源の保全が計画できる
だけでも夢がある。

さて、鏡川については高知市が主催した公聴会にも何度か
参加し、意見も挙げ、その推移を見守りつつある。

そして、ポジティヴな意味での関連新聞記事報道を読むと
また前向きに取り組もうという気力も新たに起こってくる
というものである。
kagami1
あ、この写真は自分の撮ったデータです。
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ログ爆弾
Bob Log III - Boob Scotch
■■■

思えばリリ禁ネットオフ会の前日、彼のライヴにて魂の共振を果たしたのが
今の芸風の原点であったかもしれぬ。

Bob Log III - I want your shit on my leg
■■■

最初に彼が叫ぶ「NODOCHINCO!」は大阪にある居酒屋「のどちんこ」を
紹介したことから。笑っていいともでも叫んでいたのでよっぽど
気に入ってくれたものだと思われる。
日本で最初にヒザに載った人間→僕

そりゃー駆除派とか擁護派とか、くだらなすぎていちいちまともに
付き合いきれんよ。

外に出れば空を見上げ、地へ這いつくばって虫の往来を
観続ける。
そういう時間の消費の仕方なのである。
「釣り」が嗜好へ分け入ってくる要素はあまり見当たらぬ。

観察を能動的な形態へシフトさせると「釣り」になるのであろうか?
観察は、あくまで受動的に見護るカタチである。
対象生物の生活圏や活動へ積極的に関与・蹂躙する「釣り」は、
おおよそ観察者の取る手法だとは思われぬ。

フィッシュ・ウォッチングでは飽き足らぬ、モノ言えぬ魚に対して
一方的に何かを要求(または押し付け)しているのが“釣り”なのかもしれない。

そういう意味では、僕個人の適性は「釣り人」と異なるようだ。
「み~て~る~だ~け~」でも十分幸せなのが本当のところである。
他人と一緒に釣りに行く時は竿を振らずにガイドへ徹する。
そこに何らの悔しさも嫉妬もない。
単純に一番良いタイミングで一番よい場所へ入り、一番よいピンポイントに
一投目で投げ入れれば、釣れなくても魚の反応はあるはずだ。
魚の反応がありさえすればそれでよいではないか!・・・

と、思うのだが。

「釣り人」だと自覚している人種は・・・そうではないだろう???

琵琶湖でスポーツフィッシング&ニュース誌開催のタッチ&リリース大会が
行われたとき、偽善を感じたと同時に軽侮をも感じたのは

僕はタッチ&リリースでも十二分に幸せだが、やってる君達は物足りないだろう?

あまりに自分らの性癖を知らなすぎるのではないか。
自分らを知らない連中が他人をむやみに批判しても無駄であろう。
最前も書いた様に、家が水辺の近くであるから釣具屋さんも
近所に存在する。
種々の生きエサや手作りの仕合(仕掛けのことを昔はこう呼ぶ)
がウナギの寝床よろしくの薄暗い店舗へ雑多に積み上げられ、
子供にとってはあまりフレンドリーとはいえぬ空間であった。

いや、まだその店舗は存在しているんですがね。

まず確認したいのは、昔の小規模な釣具屋さんというのは
常連中心の小さなコミュニティであり、一見さんにはかなり
敷居が高かったということである。

つまり、ブーマー・フォロワーの形成や流動的な世代間交代が
行われるような雰囲気が発生しにくい。
スキモノが集ってトグロを巻くような業態であったわけだ。
旦那衆が客筋でもない限り、日銭稼ぎとしては全く効率の悪い商売である。

自らを振り返った時、釣具屋さんはなかなかに親しみにくい空間・・・
触れる機会はあったけれども、積極的に関与するほど魅力的では
なかったといえる。

反論として
「釣具屋でなくても釣り自体の楽しみというものと相対できただろう」
というような仮説も挙げられようが、果たしてそうであろうか。
もし釣具屋へ自発的に何度か足を運ばなければ、「たまーに釣りでもしてみよか」
ぐらいのホリデー時間潰しとしての趣味の認識しか持つまい。

釣りが人を択ぶ入り口、それがまず釣具屋に対する適性にあるのかもしれない。

置き換えてみれば人によってそれがゴルフ屋であったり風俗であったり
するのだろう。
まず、自らが釣り人である前提から書いておかねばならぬこと。

それは
「釣りをやってる人間は、釣りをしない人間から観て
非常にわかりにくい存在」であることの説明だと思うのだ。

“釣り自体が人を択ぶ趣味”である、がoritaさんの説である。
僕もそれに同意する。
では、「釣りが人を択ぶきっかけ」はなんなのだろうか?
なぜ他の趣味ではダメなのか?なぜ代替は効かないとされているのか?
そして、
「なぜ勝手次第なのか」。

自分の場合をこれから縷々述べてみよう。

生まれたのは高知市内の浦戸湾 最奥である。
歩いて3分のところに水辺がある環境だが、釣り場として魅力的である
とはいえない。工業地帯の岸壁に囲まれた水通しの悪い場所だ。

その当時のちょっと毛色の変った子供にありがちだが、
阿呆のように生き物観察に時間を掛け、それに集中しすぎて時間を
忘れる癖があった。
トンビがくるりと輪を描けば、「なんの目的のためにくるくる回るのか」
「他のトンビとの関わりとかはないのか」で日が暮れる。
口を半開きにして空を見上げてずっとたたずんでいるからだいぶ痛い子
であること間違いない。

そして「ムシ獲り」だ。
道路やコンクリートで固められつつあったとはいえ、まだ「原っぱ」
などという空間が町に存在していたギリギリの時期である。
ファーブルの「アルマス」よろしく、小さな藪や草っ原に身を横たえ、
ちっこいムシたちの交歓になぜなに?の想いを強くし、また阿呆の
ように熱中して夜を迎え、親が捜索願を出す。

しかしながら、ここまでで未だ魚釣りとの直接的な接点はないのである。
プロフィール
HN:
ぴ~2
性別:
男性
自己紹介:
↑小川健太郎が
我が家の家紋にと。
忙しそうだが
元気でやってるのかしら。


高知県在住の
チンケな釣り人です。
別名 細川裕史とかや。


一般には、《外見》に
惑わされないように
しなければなりません。
あるオブジェを選ぶというのは、
たいへんむずかしい。
半月後にそれを
好きなままでいるか、
それとも嫌いになっているか
わかりませんからね。
美的な感動を何にも
受けないような無関心の境地に
達しなければいけません。
レディ・メイドの選択は常に
視覚的な無関心、
そしてそれと同時に好悪を
問わずあらゆる趣味の欠如に
基づいています。

マルセル・デュシャン
「デュシャンは語る」より
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