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・・・釣り人は、どこへ彷徨くのか?・・・
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【ある方からの問いに対しての編集抜粋】

彼らにはいくつかの共通項があって、
ネガティヴな部分を抜き出しますと

○「お友達人脈」の誇示(お友達人脈とは僕の造語ですが・・・)
○聖戦志向
○連帯の標榜(頭数集め)
○無責任な賑やかし


等が挙げられます。

逆に考えてみます。彼らの思惑が現実的に有効となるのは、

『社会的にネームバリューのある人物が、
自分の考えの代弁者になった場合』


たったその一点だけです。
救世主が地上に降り立ち、眼前で求めに応じ奇跡を連鎖させて後、魂の救済を迎える。

彼らは、自分の代弁者となり庇護者となる
ネームバリューのある人物を持っていません。
たぶんこれからも出てこない。
希望の星が現町長さんです。

既に『お友達人脈』は飽和状態にあり、相互協力は限界に達しています。
例えば、東洋町で先鋭的な反核活動家が専門家を呼ぶならば、
東京海洋大名誉教授の水口憲哉氏あたりを招聘するのが有効でした。
彼みたいな大立者が来れば、否が応にもNUMO関係者もご機嫌伺いに
やってくる、「戦う学者」ですから・・・
僕にとっては「魔魚狩り」(バス釣り擁護論本)のおじさんですけど。

つまり、彼らにはツテもなければ発言力もないのです。
だから気高き聖戦を虚空へ向かって延々と叫び続けなければならない。

That's Beautiful Dead.
La Danse Macabre.
殉教者の緩慢なる死への道程。

存在自体が無効だと思います。

虚数、虚勢を押し出してくる人々には、超然として
実数、実勢のみを指し示すのが有効です。
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無題
では、その「ネームバリューのある人物」が「現町長さん」?私には彼は得手勝手な独裁者にみえますけれども。こういう方が代弁者となった場合、世間の評価はどういうことになるのでしょうか?反核運動そのものが否定されるという結果に?恐ろしい。ああ、神様!
おにゆり 2007/07/24(Tue)22:46:14 編集
おにゆりさんへ
>こういう方が代弁者となった場合、世間の評価は
>どういうことになるのでしょうか?
>反核運動そのものが否定されるという結果に?

反核という考え方自体を鑑みると、日常生活サイクルが
核を持ち込まれることによって崩壊するのではないか?
という不安と危機感から発している・・・
のではないでしょうか。

それは生活の基礎の安定を常に考える、女性が特に
感じているところだと推測します。

反核運動が実際の生活に密着し、生活者の共感を
得続ける限り、否定されることはまずないでしょう。「聖戦」はNGですが。
勝手にやってろ!となる。
しかし、生活者の共感と理解を得られない人間が
反核を声高に標榜すれば、今まで頑張ってきた
先人たちの名誉と努力を汚す可能性も捨て切れませんね。
ぴ~2@細川裕史 2007/07/25(Wed)00:57:03 編集
女性の会の行方
ぴ~さま、
「悪い奴ほど手が白い」これは、私が子どもの時に聞いた言葉。何かのタイトルかキャッチコピーだったと記憶しています。
ソンアコトッテアルノカシラ?
子どもだったころから私はいつも疑問でした。しかし、間に合いました。
今、地球市民?の一人が証明してくれたのではないかと、、、、。
自ら行動せずに、パシリさん(と思われる方)を指導(?)して、手弱女の会を解散に追い込みました。死守していた虎の子まで、なんと自分の身を隠す館に取り込んでしまったとか。
其処に、自分は全く関与している痕跡も残さずに。金田一耕介さんをあの世から呼び出して調査してもらわないと、、。
昔、私の聴いた言葉は世間の常識なのでしょうか?
あなたなら、私の疑問に答えることが出来るような、、、。
おにゆり 2007/08/02(Thu)18:05:34 編集
無題
「風に聴け」の私へのコメント、来ましたね。

これは、掲示板でもっとも注目されているタレント首長ご自身ではありませんか?

私の経験では、文体には人柄が現れます。

ぴ~さま、
あなたのご感想は?

おにゆり 2007/08/02(Thu)21:52:00 編集
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プロフィール
HN:
ぴ~2
性別:
男性
自己紹介:
↑小川健太郎が
我が家の家紋にと。
忙しそうだが
元気でやってるのかしら。


高知県在住の
チンケな釣り人です。
別名 細川裕史とかや。


一般には、《外見》に惑わされない
ようにしなければなりません。
あるオブジェを選ぶというのは、
たいへんむずかしい。
半月後にそれを
好きなままでいるか、
それとも嫌いになっているか
わかりませんからね。
美的な感動を何にも
受けないような無関心の境地に
達しなければいけません。
レディ・メイドの選択は常に
視覚的な無関心、
そしてそれと同時に好悪を
問わずあらゆる趣味の欠如に
基づいています。

マルセル・デュシャン
「デュシャンは語る」より
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