・・・釣り人は、どこへ彷徨くのか?・・・
まだ高知県の希少種規制 当該種に関するパブコメには一切手をつけていません。
他人と言う事が被るのが嫌ですから。
行政を批判するのは簡単ですが、当然それに見合うだけのリスクを
背負って立つ覚悟は必要です。
僕も大先生の意見表明には口が塞がりませんでしたが、
「まあ、彼も彼なりの事情と想いがあったのかもしれんな」
に留めているのは、本当にくだらねえのでいちいち付き合っても
仕方がないし、それに掛かる手間を理と実務の進展に回したほうが
最終的に皆が手傷を負わずにすむと考えるからです。
これは一歩間違えれば泥沼の内戦状態と化す岐路でもあります。
内戦とは消耗戦です。
やらんでもええことすらもいちいち咎め立てしていくことに
なります。当然調査など進むはずもありません。
県外の研究者にお願いする?
確かにその方法もあります。
しかしながら、県外の研究者へお願いするルートを持っているのは
僕です。県の内輪で研究者とドンパチやっているのに、知らん顔で
他の県の研究者にお願いするなどという厚顔無恥なことはできません。
DNA解析もタダでやってくれるかもしれんのに・・・
そして、「吐いた唾は飲めない」というのは大人の厳格なルールです。
喧嘩を売ったなら始末をつけねばなりません。
小さく売ったら小さいリスクで事態は収拾します。
しかし、身の丈を超えた売り方をすれば、事態は永遠に収拾不可能であり、
しかもそのツケを次世代へ残すという偉業を達成します。
僕は自分の背丈に見合っただけの発言を心掛けていますが、それは
一回発言した言葉の重みを知っているからです。
この年齢になると、安直に他人を巻き込むような発言はできません。
これは高知の魚類学の大先生についても同様であります。
以上のようなことを踏まえてパブリック・コメントを書くつもりです。
・・・しかし、今日は杉本さんにお願いしてプチヴェールを食べてきます・・・
他人と言う事が被るのが嫌ですから。
行政を批判するのは簡単ですが、当然それに見合うだけのリスクを
背負って立つ覚悟は必要です。
僕も大先生の意見表明には口が塞がりませんでしたが、
「まあ、彼も彼なりの事情と想いがあったのかもしれんな」
に留めているのは、本当にくだらねえのでいちいち付き合っても
仕方がないし、それに掛かる手間を理と実務の進展に回したほうが
最終的に皆が手傷を負わずにすむと考えるからです。
これは一歩間違えれば泥沼の内戦状態と化す岐路でもあります。
内戦とは消耗戦です。
やらんでもええことすらもいちいち咎め立てしていくことに
なります。当然調査など進むはずもありません。
県外の研究者にお願いする?
確かにその方法もあります。
しかしながら、県外の研究者へお願いするルートを持っているのは
僕です。県の内輪で研究者とドンパチやっているのに、知らん顔で
他の県の研究者にお願いするなどという厚顔無恥なことはできません。
DNA解析もタダでやってくれるかもしれんのに・・・
そして、「吐いた唾は飲めない」というのは大人の厳格なルールです。
喧嘩を売ったなら始末をつけねばなりません。
小さく売ったら小さいリスクで事態は収拾します。
しかし、身の丈を超えた売り方をすれば、事態は永遠に収拾不可能であり、
しかもそのツケを次世代へ残すという偉業を達成します。
僕は自分の背丈に見合っただけの発言を心掛けていますが、それは
一回発言した言葉の重みを知っているからです。
この年齢になると、安直に他人を巻き込むような発言はできません。
これは高知の魚類学の大先生についても同様であります。
以上のようなことを踏まえてパブリック・コメントを書くつもりです。
・・・しかし、今日は杉本さんにお願いしてプチヴェールを食べてきます・・・
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プロフィール
HN:
ぴ~2
性別:
男性
自己紹介:
↑小川健太郎が
我が家の家紋にと。
忙しそうだが
元気でやってるのかしら。
高知県在住の
チンケな釣り人です。
別名 細川裕史とかや。
一般には、《外見》に
惑わされないように
しなければなりません。
あるオブジェを選ぶというのは、
たいへんむずかしい。
半月後にそれを
好きなままでいるか、
それとも嫌いになっているか
わかりませんからね。
美的な感動を何にも
受けないような無関心の境地に
達しなければいけません。
レディ・メイドの選択は常に
視覚的な無関心、
そしてそれと同時に好悪を
問わずあらゆる趣味の欠如に
基づいています。
マルセル・デュシャン
「デュシャンは語る」より
我が家の家紋にと。
忙しそうだが
元気でやってるのかしら。
高知県在住の
チンケな釣り人です。
別名 細川裕史とかや。
一般には、《外見》に
惑わされないように
しなければなりません。
あるオブジェを選ぶというのは、
たいへんむずかしい。
半月後にそれを
好きなままでいるか、
それとも嫌いになっているか
わかりませんからね。
美的な感動を何にも
受けないような無関心の境地に
達しなければいけません。
レディ・メイドの選択は常に
視覚的な無関心、
そしてそれと同時に好悪を
問わずあらゆる趣味の欠如に
基づいています。
マルセル・デュシャン
「デュシャンは語る」より
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